ロシア宇宙主義について、3つの論点(入門的な解説ではないよ)

これはまだまだ研究途上の一介の学部生のメモであります。しかし、ロシア宇宙主義に関してこのような考察はあまり例がないのではないかとも思うので。

 

Русский Космизм ロシア宇宙主義(コスミズム)に関する論や説が、日本でも増えてきている。ロシア宇宙主義とはなにか。簡単にいえば、宇宙進出、死者の復活、宇宙の進化、人間の進化と不死、叡智圏、祖先崇拝、共同事業、全一などといったキーワードで語られる20世紀前半のロシアの思想である。しかし、これほど奇妙で複雑な中身を持った思想をそのように簡単にいうわけにはいかない。しかもロシア思想史という日本ではなかなかに未知の領域の、未知の思想家たちの思想である。

本稿では、ロシア宇宙主義について調べていくうえで気づいた3つの論点を紹介する。まず、ロシア宇宙主義という思想は歴史的に実在したわけではなく、またいつどのように生れた概念なのかもわからない、ということを述べる。続いて、ロシア宇宙主義は思想史のなかでかなり杜撰に議論されていることを指摘する。誰が誰に影響を与え、誰と誰が繋がっているか、もう少し整理すべきなのである。最後に、そもそも思想史を論ずるうえで必要な態度や反省を、偉そうにも提案する。

 

 

 

論点1 ロシア宇宙主義という言葉の来歴の不透明さについて

ロシア宇宙主義というのは歴史的に実在した学派あるいは思想運動ではない。ロシア宇宙主義の祖といわれるニコライ・フョードロフも、宇宙主義者とされるコンスタンチン・ツィオルコフスキイやウラジーミル・ヴェルナツキイも、自らをロシア宇宙主義の思想家と名乗ったことはない。彼らが連帯してなにかを主張したというわけでもない。この点から、たとえばロシア・アヴァンギャルドの運動である「立体未来派」や「構成主義」とは事情が異なっている。立体未来派と構成主義は自分たちが名乗った団体名、あるいは宣言に由来するとはっきりいえるからだ。ではこの「ロシア宇宙主義」なる言葉はどこから来たのだろうか。

実はこれがよくわかっていない。これは非常に重要な論点であると思う(論点1)。由来のよくわからない言葉が、あたかも確立したものであるかのように議論されているからだ。言葉の議論されているように思えないからだ。ロシア宇宙主義というものをあたかも思想史上実在した運動であるかのように議論するのでは、この言葉の由来の不透明さを無視してしまうこととなる。

ではロシア宇宙主義という言葉についてわかっていることを述べる。宇宙主義は実在しないと述べたが、宇宙主義者、ロシア語でコスミストを名乗った人物は、実は存在している。1920年に結成された詩人の結社が、ずばり「コスミスト」を名乗っていた。この集団を形成したのはガスチェフとカージンといったプロレトクリト(後述)の詩人たちである。彼らは1920年代というかなり早い段階で人類の宇宙進出をテーマとした詩を書いていた。

また「ビオコスミスト」という集団もいた。「ビオ」は英語の「バイオ」に当たる接頭辞である。「生宇宙主義者」とも訳される。彼らも1920年代に不死や宇宙進出をテーマとした思想を発表していたようだ。詩のコスミストもビオコスミストも、立体未来派や構成主義と同じように確かに実在した運動といえるだろう。

しかし、コスミストもビオコスミストも、現在いわれるような宇宙主義、すなわちフョードロフやツィオルコフスキイらの流れとは違ったものとされている。現在いわれるような集団としてのコスミストを選定し、コスミズムという概念を作ったのはセミョーノヴァとガーチェヴァであろうと思う。彼女らが1993年に編纂した宇宙主義のアンソロジー*1が現在でも宇宙主義のイメージのスタンダードになっている。そしてこのアンソロジーに詩のコスミストやビオコスミストらの文章は含まれていない。フョードロフ、ソロヴィヨフ、ツィオルコフスキイ、ヴェルナツキイといった思想家や科学者を総称して「コスミスト(宇宙主義者)」と呼んでいるわけだが、ガスチェフらの活動への言及はほとんどない(少しある)。

つまり、言葉としてのコスミストやビオコスミストは確かにあったが、現在の意味でのコスミズムとは違っている。現在の意味でのコスミズムはコスミストやビオコスミストとは違って現代になってから「見出された」ものである。いわば勝手にフョードロフやツィオルコフスキイやヴェルナツキイを持ってきて繋げたわけだ*2。セミョーノヴァらがどこからこのコスミズムを着想したのかがよくわかっていない。それ以前にもそのような言葉があったのかもしれないし自分たちで作ったのかもしれない。セミョーノヴァ以前にまで遡って研究した文献が無いからわからないのである。今後の大きな課題である。

ロシア宇宙主義はフョードロフから続き20世紀半ばまでに死に絶え現代になって再発見された思想、といったようのものではないのだが、どうもその点があまり世には知られていないように思う。歴史上実際にコスミストやビオコスミストといった活動があったのに、現代ではそれらとはまた別に実在しなかったコスミズムが提案され、思想史が書き換えられている。このような奇妙なねじれが「ロシア宇宙主義」という言葉にはあるわけだ。

 

論点2 それぞれの思想家の影響関係について

ではいま現在「宇宙主義者」とみなされているのは誰か。まず思い浮かぶのがフョードロフである。このフョードロフを起点にロシア宇宙主義が展開されたと一般にいわれている。しかし、どうも私にはフョードロフの影響力が過大評価されているように思える。それだけではない。フョードロフに限らず、宇宙主義者とされる人びとの影響関係は、雑なままに議論されてしまっているように感じる。この整理が必要なのではないか(論点2)。ここで、できる限り整理してみる。

ニコライ・フョードロフ(1828~1903)は生前にはほとんど著作を発表していない。そもそも彼は、職業は哲学者ではなく図書館司書であった*3。それでも図書館でセミナーのようなものを開いていて、ソロヴィヨフやトルストイと面識はあったようだ。主著『共同事業の哲学』の出版は1906~1913年で、これは没後に弟子のペテルソンとコジェーヴニコフが遺稿を整理したものである。つまりフョードロフは生前にほとんど著作はなく、その思想がどれほど世に知られていたのかが評価しづらいわけだ。しかし、その思想は1920年代にユーラシア主義者や哲学者のゴルスキイ、セトニツキイに評価された。1928年にはセトニツキイが『共同事業の哲学』の新版を出版している。この頃にはインテリの間でフョードロフの思想はよく知られていたと思われるが、宇宙進出といった思想はそこまで注目されてはいなかった、と思われる。そもそもフョードロフの思想の核心は「祖先の復活」「自然統御」にあると思われる。思われるが多くなってしまった。今後の研究課題である。まだフョードロフの著作をまったくきちんと読めてはいないので。

ボリシェヴィキの思想家の中には「建神主義」という一派があった。これは当人たちがそう名乗っているパターンである。ルナチャルスキイや作家のゴーリキイがこれに数えられる。彼らの思想はいわゆるロシア宇宙主義の思想とよく似ている。宇宙の進化の法則のようなものを想定し、革命を位置付ける。また、人間の進化もそこに組み込まれる。いわゆる「新しい人間」というやつだ。自然統御や不死についても考察していたりする。またプロレトクリトという機関もつくられた。ボリシェヴィキのボグダーノフが中心人物で、先述の詩人のコスミストもこのメンバーであった。その集団や組織による労働、および宇宙や不死といった思想は建神主義やフョードロフの共同事業とよく似ている。ではボリシェヴィキはフョードロフに影響を受けたのか? しかし、フョードロフの著作が公刊される前から建神主義やボグダーノフやプロレトクリトの思想は存在していた。読んで影響を受けたもしくは共感した可能性はある。佐藤正則氏は*4、ボグダーノフがフョードロフの著作を読んでいた証拠はないがその可能性は否定できないと述べている。だが、ボグダーノフやプロレトクリトや建神主義の思想は『共同事業の哲学』出版よりも前にはすでに現れているのだから、フョードロフの思想を原点とするわけではないであろう。これは時系列から言って明確に否定できる。

宇宙主義の特徴とされる、宇宙の発生と進化、そして人間の進化という思想は神智学の発想に近い。神智学協会は19世紀にアメリカで発足し、以降オカルト業界で多大な影響を与えた(与え続けている)団体である。その設立時の中心人物であるブラヴァツキー夫人はロシア出身である(ロシア語では姓はブラヴァツカヤとなる)。ブラヴァツキーの思想では、宇宙は段階的に進化していて、人間もそれとともに高貴なものへ進化している。ブラヴァツキーは世界中の様々な宗教、特に中央アジアの仏教を参考にして教義を作った。また、生涯の大半を外国で過している。その思想にロシア的なものがあるかどうかはわからない(読んでないし*5)のでロシア思想史の人物という感じはあまりしない。しかし、神智学の思想はロシアにもそれなりに伝わっていたようである。作曲家のスクリャービンや画家のカンジンスキイが影響を受けている(どちらもロシア国外で活躍した人物だが)。

そもそも19世紀後半という時代はダーウィン進化論の影響で(ダーウィンの進化論はかなり曲解されて広まったようだが)人間の進化や社会の進化という思想は広く論じられていた。宇宙をスピリチュアルな観点からとらえたり、人間を霊的な進化の過程にあると考えたりするような思想は、19世紀の哲学から現代のカルト宗教に至るまでよく見られるものである。フョードロフやソロヴィヨフといった個々の思想家のスケールでは影響関係で繋がっているように見えても、もう少し巨視的に時代の流れを見てみると当然の発想と思えるケースがあるかもしれない。

ロケット工学や宇宙開発の礎を築いたコンスタンチン・ツィオルコフスキイもフョードロフに影響を受けたとされている。彼もフョードロフが図書館で行っていたセミナーに参加していたようで、フョードロフのことを尊敬していた。そしてフョードロフもツィオルコフスキイも人類の宇宙進出という構想を持っていた。だが、ツィオルコフスキイはフョードロフと宇宙旅行の話はしていないらしい。ツィオルコフスキイはフョードロフに影響されて宇宙進出という思想に至ったとよくいわれているが、これは誤解である。宇宙進出に関してツィオルコフスキイが影響を受けたのはジュール・ヴェルヌである。ではフョードロフとどのような話をしたのか、まだよくわからない。今後の課題である*6

ソ連の宇宙開発もロシア宇宙主義の枠組みの中で語られることがあるが、それほど単純なものではない。ロケット開発は20世紀前半、つまり宇宙主義者たちの時代に始まっているが、初めは主にミサイル開発だった。ツィオルコフスキイやセルゲイ・コロリョフのような学者たちは宇宙にロマンを抱いていたが、国としては宇宙開発にはそれほど乗り気ではなかったらしい。本格的に宇宙開発が始動するのは1957年のスプートニク1号の打ち上げ成功のあとである。これはドイツからアメリカに渡ったフォン・ブラウンも似たような事情だった。つまりロケット開発と宇宙開発はいっしょくたにできないものがあるわけだ。宇宙主義の源流とされる人びとの時代とソ連が宇宙開発に今後死を入れはじめた時代は大幅にずれているので、ソ連政府が宇宙主義の影響下にあったとはいえない。いわゆる宇宙主義思想とソ連の宇宙開発の関係としては、宇宙開発研究の初期にツィオルコフスキイが関わっている、という以上のものはない。その関係を大きく評価するかどうかはまた別問題ではあるが*7。また、ロシア宇宙主義はそもそもそこまで「宇宙っぽい」ものではない。フョードロフにそこまでの宇宙っぽさを感じないからだ。

ツィオルコフスキイとともに「宇宙っぽい」宇宙主義者がチジェフスキイである。チジェフスキイは太陽黒点の活動が人類の歴史に影響を与えていると主張した。フョードロフに影響を受けてはいなさそうだったが、ツィオルコフスキイとは知り合いであった。セミョーノヴァらは彼を宇宙主義者に含めている。「宇宙についてなにがしか述べている」「ツィオルコフスキイに影響を受けている」、というのが理由であろうと思うが、どうだろうか。フョードロフの思想とはなんの関係もないように思える。

フョードロフ、ツィオルコフスキイとともに重要と思われる宇宙主義者がヴェルナツキイである。ヴェルナツキイがフョードロフに影響を受けたという証拠は見つからない(今後の課題)。思想としても、よくよく考えてみると似ていない。「叡智圏」と「自然統御」は発想が近いかもしれないが、それは当時のロシア・ソ連ではありふれたものであったろう。

また、フョードロフの祖先復活の思想がドストエフスキイに影響を与えたという説がある。ドストエフスキイの没年は1881年なので、『共同事業の哲学』は読んでいない。しかしフョードロフの弟子のペテルソンがフョードロフの名を伏せて彼の思想を綴った手紙を送り、ドストエフスキイはそれを読んで感銘を受けている。このときドストエフスキイは手紙のことをソロヴィヨフに伝えている。ドストエフスキイはフョードロフとは会っていないし、名前を知っていたかどうかもわからない。フョードロフの思想が『カラマーゾフの兄弟』に影響を与えたとされているが、証拠はない。ドストエフスキイがそれを明言しているわけではないので。ただ、ドストエフスキイとフョードロフを関連付ける批評はかなり古くからあるようだ。1928年のものが(確か)あった。しかし、フョードロフのドストエフスキイへの影響というのは評論家の解釈であり、それほど自明なものではない。ソロヴィヨフのほうはドストエフスキイの死後(と思われる)トルストイとともにフョードロフと親交を結んでいる。

 

論点3 思想史という学問の難点について

論点1で歴史的に宇宙主義運動なるものがなかったと述べた。もちろん、そこからただちにこの概念を捨てるべきだとはならない。歴史的に実在する言葉ではないなら使うべきではないとしてしまうと、思想史を記述するうえで不便である。また、言葉がなかったからといって実在しないとはいえない*8。先に立体未来派と構成主義を引き合いに出したが、「ロシア・アヴァンギャルド」は誰もそれを称したわけではない。しかしロシア・アヴァンギャルドというくくりには意味があるように思える。どのように概念を設定すれば、歴史的に言葉が実在しなかったとしても思想史の概念として正当といえるのだろうか。このような、思想史という学問の基礎的な部分に対する哲学的な疑問がある(論点3)。

事実「ロシア宇宙主義」概念についていろいろな定義、あるいは枠組みが提案されている。

セミョーノヴァは宇宙に関する思想に加え「能動的進化」の思想をロシア宇宙主義の特徴としている。しかし、フョードロフやヴェルナツキイにそのような思想はあまりないような気もする(今後の課題)。ヴェルナツキイのいう叡智圏は自然な過程として訪れるものであり、能動的につくるものではない。人類を能動的に進化させるという思想ならば、彼らよりもボリシェヴィズムや神智学に顕著であるように思うが、セミョーノヴァらのアンソロジーには選ばれていない(ブラヴァツキーはロシア思想史の人物ではないが)。なにか恣意的な、というか中立を欠いているように感じてしまう。そもそもセミョーノヴァらは思想史の実証的研究というよりは宇宙主義者たちの現代的意義や詩的な味わいを重視しているようだが。

桑野隆は『20世紀ロシア思想史』のなかでロシア宇宙主義の特徴を以下のように並べている。

  • 宇宙の意味の構造が、人間が倫理的、文化史的に自己決定するさいの根拠づけとなっている――宇宙中心主義。
  • 人間と宇宙の進化における、人間の能動的役割の重視。
  • 新しい生命の創造。
  • 事実上の不死の状態に至るような、人間の寿命の無限の延長。
  • 死者の物理的復活。
  • 空想科学小説、オカルト小説などで描かれる出来事に対する真剣な科学的研究。
  • 宇宙全体の開発と植民地化。
  • 人間の思考の新たな領域である〈精神圏〉の出現、その他の遠大なプロジェクト。

書きぶりから察するに桑野はこれをフォーマルなものとは考えていなさそうだ。「宇宙の意味の構造」「新しい生命」など表現が曖昧である。これらすべてに当てはまる宇宙主義思想家というのはいない。近年の思想家ではいるかもしれないが、セミョーノヴァらのアンソロジーに選ばれているような歴史上の宇宙主義者にはいない。ということはこれらの特徴は宇宙主義の定義ではないし必要十分条件でもない。一部でも引っかかれば宇宙主義者と認められるならば、宇宙主義者はもっと濫造されるだろう。また「死者の物理的復活」はフョードロフの思想で「精神圏(i.e. 叡智圏)」はヴェルナツキイの思想であるが、それらの間にはなんの繋がりもない。ここから、宇宙主義宇宙主義は先に宇宙主義者が桑野のなかで決まっていて、アドホックにこれらの特徴を提案しているように思えてくる。「定義」ではなく「特徴」としているあたりからもそれがうかがわれる。

近年ボリス・グロイス編のロシア宇宙主義アンソロジーが出版された。この本ではビオコスミストのスヴャトゴルに注目しているらしい*9。ビオコスミストはセミョーノヴァらのほうではほとんど触れられていない(多分)。アンソロジーのグロイスによる序文の邦訳が「ゲンロンⅡ」にある。上田洋子訳。そこではロシア宇宙主義の特徴を「人類に、宇宙(コスモス)を全面的に支配しよう、そしていま生きている、あるいはかつて生きていたすべての人間を対象にして、個人の不死を保障しようと呼びかけた」としている。また、全体的にグロイスはセミョーノヴァとは違い政治的な側面を強調している。このことは上田洋子氏による訳者解題でもきちんと触れられている。ヴェルナツキイはこのグロイスの提案には当てはまらないし、事実アンソロジーにも含まれていない。

大石雅彦は『マレーヴィチ考』でフョードロフやツィオルコフスキイとともにオカルト方面のブラヴァツキーやウスペンスキイも宇宙主義者としてカウントしている*10。ウスペンスキイはアヴァンギャルド期の藝術にも影響を与えたスピリチュアル思想家だが、もはやフョードロフとはまったく関係がない人物であろう*11。大石はロシア・アヴァンギャルドの研究書で触れているので、ウスペンスキイが重視されるのは当然である。大石の分類は「宇宙」概念に重きを置いた結果だろう。ウスペンスキイはブラヴァツキーと同様、観念的な宇宙論を展開している。「ロシア宇宙主義はロシア・アヴァンギャルドにも影響を与えた」というようなことがいわれる場合、このウスペンスキイのようなオカルトの影響、またアヴァンギャルド藝術家の言に「宇宙」「飛行」といった言葉が頻出することによると思われる*12。もちろん先述のように宇宙や飛行へのロマンとソ連の宇宙開発は直結するわけではない。また、宇宙といってもオカルト思想家の神秘的な宇宙論と宇宙工学や航空工学を同一視してしまうことにも違和感がある。

アメリカのロシア思想研究者G・ヤングは“Russian Cosmists”という詳細な研究書を著している。この本は詳細ではあるが、フョードロフに影響を受けた思想、宇宙と人間の関係を強調した思想、能動進化、不死、これらに関わるロシアの思想を次々と紹介していて、こんどは「はて、ロシア宇宙主義とは?」となってしまっているように思う。フョードロフの政治思想に影響を受けた思想家も科学的に不死を研究していた人間も紹介されているが、遠すぎるのではないだろうか。しかしヤングは、単に政治思想でフョードロフに影響を受けただけの人、たとえばユーラシア主義者は宇宙主義者に含めていない。ただ、「確かに影響を受けた」ということと「思想が似ている」ということは、もっと大きく違う扱いをすべきかと思う。また、ロシア宇宙主義の近年における動向も紹介している。つまり、セミョーノヴァ以降の「見出された」宇宙主義に影響された人びとの動向である。話がよけい複雑である。

このように、論者の立場によってロシア宇宙主義の中身は大きく異なる。思想史の概念がそのようにあやふやでよいのだろうか。「いや、『大きく』異なってはいない」もしくは「異なっていたってよい」というのであればそれはそれでひとつの立場であろうとは思う。しかし、そのような立場を深く検証もせず「それぞれのロシア宇宙主義」といったふうに乱立してしまっているのは、あまり好ましい現象とは思えない。

では、思想史の概念はどうすれば健全といえるようになるのか。たとえばロシア・アヴァンギャルドは、それを「ある時期の藝術集団およびその活動の総称」ということにすれば必要十分といえるほどに正確に定義できる。それに対しロシア宇宙主義の思想家たちはほとんどがバラバラで、そのような定義ができない。もしやったとしたら恣意的な集め方になってしまうし、事実これまでの4例ではそれを避けられていない。しかし、そのような正確な定義などなくても、なんとなくで暫定的に、つまりヒューリスティックに宇宙主義と呼ぶ意義はあるかもしれない。ロシア宇宙主義という漠然とした呼称を与えておいて、その呼称を使う場面場面で「ここでいうロシア宇宙主義とは~」と補足をする。ロシア宇宙主義という言葉によってなんとなく「ロシア」「宇宙」「宗教」「進化」といったテーマに関わるだろうとわかればそれでよい。その際、先の論点1・2はやはり重要となる。また、学問は事実の収集と記述をベースとするということは大前提である(これに文句がある人ももしかしたらいるのかもしれないが)。

しかし、そもそも存在しないものに呼称を与えてしまったら、存在しない問題までも引き寄せてしまう可能性がある。この小論がそもそもそうかもしれない。ヒューリスティックに使っておけばいいものを、「宇宙主義とは何か?」と問題にしてしまうことで「『宇宙主義とは何か』を研究する伝統」ができてしまい、無駄な論文が量産されてしまう危険性がある、と、私は真剣に思っている。ロシア・アヴァンギャルドにもそのような側面はあるうえ、それ以上に曖昧なロシア宇宙主義はより危険である。

つまり、ひとたびある問題が問題として定着してしまうと、それを解釈し自身の見解を付け加えるだけで思想史あるいは哲学の論文めいたものが出来てしまうケースがあるわけだ。先に取り上げたのグロイスの文章などもそうだ。ロシア宇宙主義の検討というよりは、フーコーやニーチェにロシア思想をくっつけていっちょうあがり、であるようにも読める。誤解を恐れずにいえば、教育における掛け算の順序、血液型占いの真偽、シンギュラリティは来るか来ないか論争など、そもそも存在しなかった問題が「問題」として定着して議論が泥沼化しているケースは多くあるのではないだろうか。こうなってしまってはヒューリスティックな定義が逆効果になる。

 

ここまで述べてきた3つの論点をまとめておく。

 

  1. ロシア宇宙主義という言葉はその来歴からして不明瞭な点が多く、思想史の用語とするにはやや健全さを欠くのではないか。
  2.  宇宙主義者たちの影響関係をもう少し慎重に検証してみるべきではないか。
  3. 思想史という学問を適切に行うのは難しい。ロシア宇宙主義にはその難しさが表れている。ロシア宇宙主義を語るためには、思想史という学問のありかたも同時に意識すべきではないか。

 

いわゆるロシア宇宙主義についてなにがしか論じようという人は、これらを押さえておくといいのではないかと思う。どうでしょうか?*13

 

最後に私の本音を述べておく。フョードロフを起点とするのは無理があるのではないかと思う。科学史や宗教・オカルト事情や政治思想史を踏まえ、もっと大きな精神史の中で、フョードロフという一風変わった図書館司書を位置付けるべきではないかと思う。その際、「ロシア宇宙主義」という言葉を使うべきか否か慎重に考えなければならない。

また、ロシアという国を異端視して、「ロシアだから変な思想があってもおかしくない」と思われているような気がして心配である。そこまでではないかもしれないが、ロシア思想の研究は西欧や中国に比べて遅れているのためにデマの入り込む余地が大きいのは確かだろう。日本人でフョードロフの著作を読んだことのある人間がどれくらいいるのだろうか。私でさえまだまだ少ししか読めていない。ここまで読まれた方はお気づきかと思うが、誰よりもまず私が宇宙主義やフョードロフについてよくわかっていないのだ。今後の研究課題は山積みである。

 

読んでいただきありがとうございましたなのだ。

*1:С. Семенова, А. Гачева "Русский Космизм"、『ロシアの宇宙精神』として抄訳が出ている(西中村浩訳)。

*2:もちろんまったくの勝手ではない。そこが難しいところで、この難しさが本稿全体の主張である

*3:ロシア思想史においてどのような人物を哲学者としてカウントするかというのは、それはそれで難しい問題である。大学の哲学教授や哲学の専門家というのは近代までのロシア思想史上では稀なので。だからこそ安易に「哲学者」「思想家」と呼んでしまうわけにはいかない

*4:『ボリシェヴィズムと新しい人間』。この段落はほぼこの本に拠っている。

*5:大田俊寛『現代オカルトの根源』は読みました。

*6:G. Young "The Russian Cosmists"を読んでの論

*7:この段落は冨田信之『ロシア宇宙開発史』を参考にしている。同書では宇宙開発に対するフョードロフやロシア宇宙主義の影響を大きく評価している

*8:実在論である。哲学的である。

*9:未読

*10:と思う。手もとに本がないので正確ではありません。すみません。

*11:その著作をきちんと読んだことはないので正確にはわからない。

*12:後者の要因に関しては、なぜこのような言葉やモチーフが好まれたのか、まだまだ調査中である。建神主義にもこれらの概念は出てくる。『マレーヴィチ考』や本田晃子『天体建築論』を参照。これらの著作でも分析は不十分と思うが。

*13:どうでしょうか?